今日は東京都写真美術館(@恵比寿)へ。
http://www.syabi.com/

"TOKYO"マグナムが撮った東京、という展覧会を、
ずっと気になっていたのですが、出不精がたたり、
ついにこの時期になってしまいました。

初めての写美、行ってみたら別フロアの展示と併せて、
セット割引があることがわかり、
ついでに


夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史

という展示も観てみることに。
あとで気づいたのだけど、
都合、幕末から現代にかけて
写真を通して東京を振り返る、という形に。
とても面白いものとなりました。


奇しくも先日ふらりと立ち寄った図書館にて、

ロバート・キャパ 最期の日(横木安良夫著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4487800110/alaoyokogi-22

という本に出会い、
今回の写真展とリンクしてしまい、
キャパの写真に対する興味が一層増しました。

この本の面白いところは、作家やルポライターではなく、
いち写真家によって書かれているため、
ルポとしての視点と、写真家としての視点がほどよく共存していて、
キャパの足跡を辿りながら、その時のキャパの写真家としての心情にも
寄り添っているところが面白い。
キャパ誕生(キャパというのは偽名、というか架空の人物)
のいきさつもわかったし、
構成も見事で、キャパの最期の日を紐解くとともに、
著者自身が、キャパの最期の地を探すたびと重ね合わせ、
50数年という時系列がクロスしながら、
やがてキャパと著者が同じ瞬間と同じ空間を共有したかのような、
クライマックスを見せています。


さて、そんなわけで本に出てきたほかの写真家たちの作品も
観られることは興味深く、またこうしてほかの写真家と同時に見ると、
キャパの個性がより際立って感じられ、
構図やピントだとか露出だとか、
計算する前に、感じたまま、ふらりとさりげなく、
人々に溶け込んで撮影するキャパの、
その自由さというか、乱雑さというか、
あたたかみが感じられるような気がするのは
本の影響かもしれません。


いろんな写真家がいろんな時代の東京を撮っているけど、
大きく2つに分けると、
東京に住む人々の暮らしや体温を焼き付けるタイプの人と、
東京を1つの存在として捉え、
時に無機質なその表情に惹かれるタイプがいるように感じました。


中には東京という素材を使って、
スタイリッシュにデザイン的に作品化する人もいたけど、
私はそこに住む人々のさりげない瞬間を
興味深げに、またあたたかみを持って
シャッターを切る写真家たちに惹かれました。



さて、もう一方、『夜明けまえ』のほうは、
江戸に初めて写真機というものが伝わったであろう時期、
幕末から明治初期の写真が多く展示されました。

興味深かったのは、
写真機を持ち込んだ欧米人が撮影したのかと思いきや、
日本人による撮影がほとんどだったことで、
被写体たちの心なしか緊張した面持ちに反して、
ちょっとイシキしちゃってる??というような
ポーズやカラダの構え方は、ほほえましいような、
それが自然とわいてきたものなのか、
写真家が指示をしたのかわからないけど、
およそ「写真は魂を取られる?」などと怯えていたとは思えません。

また西南戦争の戦傷者の記録としての写真では、
片腕を失った姿や大きな切り傷がそのまま映されているのですが、
背中の切り傷を撮るのに、
ちょうど背もたれのように大きな鏡があって、
本人は正面を向いてポートレートのようにキメ顔なのに、
ちゃんと鏡には背中の痛々しい傷が映っている、という、
目からウロコな表現といい、
この頃すでにきちんと撮影技術を学んだ日本人たちがいたというのは
驚きでした。


また、
古武道をほんのり嗜む私としては、
昔の人は体の使いかたがうまく、
姿勢もよかったのだと思っていたのですが、

いやいやどうして。

その辺のズボンを腰ばきしてる高校生のような
グズグズの姿勢で映ってる若者もいるのです。
なんだかガッカリが半分と、ほほえましいのが半分。
ただし、武士や軍人、また体を使うような商売人たちの
姿勢はきっちりしていました。


気になったのは、当時は目線を外す人が多かったこと。
写真撮られると、というより、
レンズ見ると魂抜かれると思ったのかな。

今ならむしろスカしてる?拍手というような角度が
ちょっとツボでした。